アンダルシア女神の報復を見れば、アンダルシアの景色満載すぐにアンダルシア通に!

ロケの舞台

ロケの舞台のメインはスペインとアンドラ公国です。アンドラ公国でスキーをしていたシーンがあります。アンドラ公国で川島日本人投資家殺人事件が発生して、黒田たちは調査のためにスペイン入りします。

そして、スペインのバルセロナでは武装グループから襲撃を受けます。そしてスペインのアンダルシアで、国際テロ組織の裏取引が行なわれます。このアンダルシアでは美しい渓谷の町ロンダで撮影が行なわれました。

アンドラ公国 その1

アンドラ公国、通称アンドラはピレネー山中にあってフランスとスペインに挟まれたとても小さな国家です。国家元首はフランス大統領とスペインのウルヘル司教を国家元首としています。首都は、アンドラ・ラ・ベリャ。

正式な国の名前はカタルーニャ語でPrincipat d'Andorra(プリンシパット・ダンドーラ)。通称Andorra(アンドーラ)です。

アンドラ公国の他の言語での呼び名は?

  • フランス語・・・Principauté d'Andorre(プランシポテ・ダンドール)
  • フランス語通称・・・Andorre(アンドール)
  • スペイン語・・・Principado de Andorra(プリンシパード・デ・アンドーラ)
  • スペイン語通称・・・Andorra(アンドーラ)
  • 英語・・・Principality of Andorra(プリンシパリティ・オブ・アンドーラ)
  • 英語通称・・・Andorra(アンドーラ)
  • 日本語・・・アンドラ公国
  • 日本語通称・・・アンドラ
アラフォー!スペイン情熱の旅!

アンドラの歴史

8世紀に、シャルルマーニュ(カール大帝/西ローマ皇帝)がピレネー山中においたスペイン辺境領の一つで、ウルヘル伯領を起源としています。

のちにウルヘル伯より宗主権を獲得したウルヘル司教と、司教から条件付きで領主とされたフォワ伯爵家との間に争いが起きました。そしてその調停案として1278年に、両者を対等の共同統治者とする宗主契約が結ばれました。

その後フォワ伯の権限は、ガストン4世の死後に歴代のナバラ王に伯位とともに受け継がれることになり、フランス王になるブルボン家のアンリ4世にとなりました。フランスが王政廃止した後は、フランス大統領がこれを引き継いでいくことになりました。

1993年にアンドラは新憲法を制定しました。ウルヘル司教とフランス大統領を共同元首とする議会制民主主義を敷くことになり、正式な独立国家となりました。そして同年の1993年7月に国際連合に加盟しました。

アンドラの政治

国家元首である大公 princes d'Andorre は、スペインのウルヘル司教と、フォワ伯爵位を法的に継承するフランス大統領との二頭制になっています。しかしその元首としての権限は、首相の任命などの儀礼的なものに限られています。そしてこの両名がアンドラに来訪することはほとんどありません。それぞれの代行者がアンドラを来訪して、またはそれぞれの駐在代理官が委任を受けて、その権限を行使しています。

議会は、一院制から成っていて、定数は28議席で渓谷総会と呼ばれています。議員の任期は4年で、14議席を全国区から選出していて、残り14議席は7教区ごとに割り振られていて、各教区2議席ずつの定数になっています。

行政府の長の首相は、議会によって選出されています。保守・自由民主主義のアンドラ自由党と、社会民主主義の社会民主党による二大政党制になっていますが、他にも小政党が存在しています。

地方行政区分(7つの教区に区分)

  • アンドラ・ラ・ベリャ
  • アスカルダズ=アングルダーニ
  • アンカム
  • ウルディーヌ
  • カニーリョ
  • サン・ジュリアー・ダ・ロリア
  • ラ・マサーナ

軍事面

敵対する国家も存在しないとうこともあって、1993年まで外交をフランスが代行していました。外交も委ねていたという事で、軍隊は持っていません。国防に関しては、フランスとスペインに委託していますが、アンドラはかつて第一次世界大戦と第二次世界大戦に参戦していたこともあります。

しかし、第一次世界大戦の時には参戦してはいましたが、小国ということもあって存在を忘れられていてパリ講和会議に招かれませんでした。その講和会議に参加していないということもあって、形式的には「アンドラ公国は第一次世界大戦を継続したまま、第二次世界大戦に参加」するという珍事になってしまいました。

日本とアンドラの関係

日本は1993年(平成5年)12月にアンドラ公国を国家承認しました。1995年(平成7年)10月に両国間の外交関係が築かれました。在アンドラ日本大使館の業務は、在フランス日本大使館が兼轄しています。

日本人のアンドラへの渡航は、在スペインと在フランス日本人によるものを中心にして、だいたい年間数千人程度と見られています。

2005年(平成17年)1月20日に、アンドラ公国首相のマルク・フォルネ・モルネが湘南モノレールを視察しました。首相夫妻と外務大臣ら5人が、湘南モノレール社長の前田克彦とともに全区間を乗車しました。同首相は積雪に強いこのモノレールに対して「アンドラ公国にぴったりの交通機関」と感想を述べています。アンドラは冬期5か月間は雪に閉ざされるといこともあり、降雪に強い交通手段として、このサフェージュ式モノレールに関心を寄せています。

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