アンダルシア女神の報復を見れば、アンダルシアの景色満載すぐにアンダルシア通に!

アンダルシア

♪アンダルシアにあこがれて~♪ と、近藤真彦も歌っていましたがアンダルシアは【闘牛】【フラメンコ音楽】の発祥の地です。闘牛=スペインとひとくくりしてしまわずに・・

アンダルシア州

アンダルシア州はスペインの南部に位置しています。州都はセビリアで、北はエストレマドゥーラ州とカスティーリャ=ラ・マンチャ州、東はムルシア州、そして西はポルトガルと接しています。南は地中海・ジブラルタル海峡・大西洋があります。気候は、典型的な地中海性気候で、夏はまばゆい太陽がサンサンと輝き暑くなります。雨はあまり降りません。

アンダルシア州には8つの県があります。

  • アルメリア県・・・ アルメリーア(Almería) 8,774.89㎢  684,426人
  • カディス県 ・・・カディス(Cádiz) 7,435.88㎢  1,230,594人
  • コルドバ県・・・ コルドバ (Córdoba) 13,771.31㎢  803,998人
  • グラナダ県・・・ グラナダ(Granada) 12,646.98㎢  907,428人
  • ウエルバ県・・・ ウエルバ(Huelva) 10,128.01㎢  513,403人
  • ハエン県 ・・・ハエン(Jaén) 13,496.09㎢  669,782人
  • マラガ県 ・・・マラガ(Málaga) 7,308.46㎢  1,593,068人
  • セビリア県・・・ セビリア(Sevilla) 14,036.09㎢  1,900,224人

アンダルシア州歴史

グアダルキビール川の河口にあった都市タルテッソスは、紀元前1000年にまでさかのぼります。この都市は強大なタルテッソス文明を築いていました。聖書の中では「タルシシュ(Tarshish)」の名前で知られています。紀元前2世紀に、古代ローマに支配されて、属州ヒスパニア・バエティカが置かれました。

5世紀になると一時期ゲルマン系のヴァンダル族がこの地を支配することになり、「Vandalicia(ヴァンダル人の国)」が「アンダルシア」の語源となりました。

西ゴート王国による支配のあとには、711年にウマイヤ朝に征服されました。そしてアラビア語でアル=アンダルスと呼ばれるようになりました。ウマイヤ朝が都を置いたコルドバは、西方イスラムの経済文化の中心地として繁栄していきました。アンダルシアの文化には、8世紀にわたったイスラム支配の影響を色濃く残しています。

13世紀にはレコンキスタによってキリスト教諸国による征服が進みました。グラナダを都とするナスル朝だけが最後のイスラム王朝として200年間生き残りました。1492年にはグラナダが陥落し、スペイン王国に統一されました。

16世紀~17世紀にかけては、セビリアはアメリカ州にあるスペインの植民地への出発地となったこともあって、現在アメリカに住むスペイン語を話す人は、標準的なスペイン語のカスティーリャ語ではなく、アンダルシア方言を話す人が多くみられます。

アンダルシアは先史時代からローマ時代そしてイスラム時代を通じて、イベリア半島の先進地域でもありました。しかし、レコンキスタの過程で大土地所有制が広がっていき、新大陸との貿易で繁栄したセビリアを除いて、スペインでも貧しい地方の一つとなりました。20世紀の自治州成立後は、観光業の発展とともに、政府やEUからの援助金、高速鉄道AVEの開業、セビリア万博の開催などによって、経済のてこ入れが図られています。

世界遺産

  • コルドバ歴史地区
  • グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン
  • セビリア大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館
  • ドニャーナ国立公園
  • ウベダとバエサのルネサンス建築

観光地

アンダルシア州にはイスラム支配期の文化を伝える史跡が数多く残っていて、観光名所にもなっています。グラナダのアルハンブラ宮殿、コルドバのメスキータやメディナ・アサーラ、セビリャの黄金の塔やヒラルダの塔などがあります。

マラガ県の地中海沿岸コスタ・デル・ソルは一大リゾート地となっていて、イギリスやドイツなどヨーロッパ北部から多くの観光客を集めている大人気リゾートです。

アンダルシア祭り

  • カーニバル カディス・・・Carnaval de Cádiz 祭りの中でも特に有名です。
  • セマーナ・サンタ・・・各地で行われる祭りですが、特にセビリアのものが有名です。他にはマラガ、グラナダのものがよく知られています
  • セビリアの春祭り
  • エル・ロシーオの巡礼
  • 馬祭り

ロンダ(マラガにある都市)

【アンダルシア女神の報復】では、ロンダでもたくさんのロケが行われました。ロンダはアンダルシア州にあるマラガ県の都市です。

海抜739mの岩だらけの台地の上にロンダは位置しています。その立ち位置はまさに絶景。映画でみるそのままの景色が広がっています。タホ・デ・ロンダの名称で知られる渓谷(グアディアーロ川)の支流グアダレビン川によって市街は2つに分断されています。

この渓谷はモリノス谷まで広がっています。市街の東はシエラ・デ・ラス・ニエベス自然公園で、南はヘナル谷、西はシエラ・グラサレーマ山脈、北はカンピージョスへとつながる平地になっています。

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ロンダの歴史

近隣のクエバ洞窟では、洞窟壁画が見つかっています。その壁画によると、ロンダ周辺には新石器時代から人が定住していたと感がえられます。ロンダの起源は、紀元前6世紀頃に住んでいたケルト人で、彼らはこの地をアルンダ(Arunda)と呼んでいました。それから後に、フェニキア人が近郊に村をつくりました。そして、そこをアシニポと呼びました。古代ギリシャ人に征服されたアルンダは、ルンダ(Runda)とその名前を改名されました。

現在のロンダの基盤は、第二次ポエニ戦争の後に、ローマの将軍スキピオ・アフリカヌスのカルタゴ遠征の最中につくられたとされています。紀元前3世紀終わりには、ヒスパニアがローマに平定されました。ラウルス城が築かれたことで、周辺から人口が集まり始めて、ユリウス・カエサルの時代には都市の規模にまで大きくなりました。ルンダの住民もアシニポの住民も、ローマ市民とされました。

5世紀には繁栄を誇っていたローマ帝国の衰退が始まります。レキラ王率いるスエビ族が都市を征服して、その後東ローマ帝国が都市を征服しました。レオヴィギルド王が都市を西ゴート王国に統合するまで、アシニポは完全に打ち捨てられていました。

711年に、イベリア半島にイスラム教徒が侵入してきました。713年にロンダは戦いらしいことをせずにベルベル人のサイード・ベン・ケサディ・エル・セブセキの元へと下ることになりました。都市はイスン=ランド・オンダと改名されて、アルアンダルスのタクルンナ県の中心地となりました。コルドバ太守国が分解して、タクルンナ県がアブー・ヌール・イラル・ベン・アビ・クラが治める独立王国(タイファ)となりました。この時代に、ロンダの都市としての歴史的な外観の大部分がつくられたと考えられています。アブー・ヌールの息子ナサルが王国を継承後に殺害されたことで、ロンダ王国はセビーリャ太守アル=ムタティードのものになりました。

1485年5月22日に、長期の包囲戦の後にアラゴン王、フェルナンド2世がロンダを陥落させたことで、ロンダのイスラム支配は終わりを告げることになりました。征服後は、イスラム時代に建てられた建物の多くが刷新されて、メルカディーリョやサン・フランシスコといった郊外定住地へと市街が拡大していきました。対して、古いアラブ時代の市街はラ・シウダーと呼ばれるようになりました。

1572年、王立ロンダ騎士養成学校が設立されました。

18世紀には、現在の闘牛のスタイルを確立したフランシスコ・ロメーロが登場します。まさに現在のロンダの顔でもある、ヌエボ橋と闘牛場が建設されました。これ以降は、バンドレーロと闘牛士のロマンティックな伝説が始まったとされています。ロンダの要塞であったラウレル城ですが、退却するフランス軍によって荒らされてしましました。19世紀から20世紀、ロンダの経済活動は引き続き僻地の経済活動でした。近郊のセラニアには20世紀初頭に鉄道が敷かれたことで、繁栄の時代を経験しました。1918年のロンダ議会で、現在のデザインのアンダルシア州旗、州歌、州章が紹介されることになりました。

ロンダの経済

現在のロンダ経済は観光が中心になっています。農業、家具製造も行われています。ロンダにあるレストランは、コスタ・デル・ソルから日帰りで毎日やってくる観光客の舌を十分に堪能させて満足させています。素晴らしい自然と歴史的遺産がロンダをアンダルシア有数の観光地にしています。その他に、とても品質の良いワインセラーもあります。

ロンダの姉妹都市

  • クエンカ・・・スペイン
  • シャウエン・・・モロッコ
  • カスティリオーン・フィオレンティーノ・・・イタリア

コスタ・デル・ソル

コスタ・デル・ソルは太陽海岸とう意味で、場所はアンダルシア州マラガの海岸地域とカディスのカンポ・デ・ヒブラルタル地区の地中海に面する地域です。コスタ・デル・ソルの気候は温暖で、年平均気温は19度で、日照は年間の300日以上になっているので、ほとんど晴れという地域です。ゴルフ場をはじめとする観光関連施設、会議・展示施設、ヨットハーバーなどが数多くあります。

スペインの観光産業にとって最も重要な地域の一つになっていて、アンダルシアの観光業の35%を占めています。1950年代から国際的な観光地域として知られるようになりました。

イギリス、ドイツ、北欧、フランスの人々にとってはとても人気のある旅行先で、このことはこの地域の経済発展と人口成長にとってとても重要なものにもなっています。

1970年代~80年代の間は、この地域は「犯罪海岸 "Costa del Crime"」として悪名が高くもありました。イギリスのギャング団の間で、法的なトラブルを逃れてこの地で贅沢をして暮らすことが流行っていたからです。。両国間にはジブラルタル問題があったこともあり、犯罪人引渡し条約が締結されていなかったこともあり、この地で贅沢に暮らすことができた理由のひとつでもあります。

コスタ・デル・ソルの地理

コスタ・デル・ソルの地域は、カディス県の地中海沿岸地域やモトリルまでのグラナダ県の地中海沿岸地域を含むこともありますが、一般的には東はグラナダ県、西はカディス県の間の161kmにわたる地中海沿岸地域を指すものとされています。

自治体では西はマニルバ(Manilva)から東はネルハ(Nerja)までとされています。それはマラガ県では、コマルカ名として西からコスタ・デル・ソル・オクシデンタル(Costa del Sol Occidental)、マラガ=コスタ・デル・ソル(Málaga - Costa del Sol)、アハルキーア=コスタ・デル・ソル(Axarquía - Costa del Sol)と同県のすべての沿岸地域に対して、【コスタ・デル・ソル】という名称が行政的に使用されていて、定義づけられているのに対して、両県ではそのような定義付けがされていないということと関係があります。

コスタ・デル・ソル地域は伝統的には東西2地域(コスタ・デル・ソル・オクシデンタルとコスタ・デル・ソル・オリエンタル)に分けられていて、中央部にあるマラガが両地域の中心となっています。

コスタ・デル・ソル自治体

  • ネルハ
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  • マラガ
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