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サラ・ブライトマン

【アマルフィ女神の報酬】で綺麗なソプラノで、映画のCMなどでも必ず流れたサラ・ブライトマンの歌声。彼女がTime to say goodbyeを世界的に有名にしたといっても過言ではないでしょう。サラ・ブライトマンはイギリス出身のソプラノ歌手です。Time to say goodbyeの曲で一躍有名になりますが、その前から(かなり前)テレビ朝日のニュース・ステーションのテーマソングでも彼女の歌声を聴いたことがあるのではないでしょうか?!

サラ・ブライトマンは1980年代はミュージカル女優として成功を収めていました。そして1990年代以降は、クラシカル・クロスオーバーで世界的にブームを巻き起こしたのは言うまでもありません。アメリカのビルボード・チャートでは、クラッシック音楽部門とダンス音楽部門で同時に1位を獲得した唯一の歌手でもあります。

大成功までの道

デビューまで

イングランド、ハートフォードシャー州バーカムステッド出身です。3歳からバレエを習い始め、11歳の時に寄宿制の学校に入学してジャズと演技を学んでいます。

1973年、彼女が13歳の時にピカデリー・シアターのミュージカル「I and Albert」で劇場デビューを果たしました。

1976年、16歳の時にBBCの人気番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』などで活動するダンス・グループ、「パンズ・ピープル」に加入しましたが、一年後にはこのグループを離れて、『ケニー・エヴァレット・ビデオ・ショー』で活動する「ホット・ゴシップ」に加入しました。

1978年に「I Lost My Heart to a Starship Trooper」が全英チャート最高6位のヒットになりました。

ミュージカル女優として

1981年に新作ミュージカルの『キャッツ』のオーディションを受けて、ジェミマ役を射止めました。サラはその後もアンドルー・ロイド・ウェバー(作曲家)のミュージカルに数多く出演しています。

1984年にはウェバーと結婚して、ウェバー作「レクイエム」の初演でもソプラノ・パートを務めました。

特に1986年に『オペラ座の怪人』にオリジナルキャストとして出演したクリスティーヌ・ダーエ役での大成功で、彼女の名前を一躍世界に知らしめることになりました。この役は彼女のために作られた役ででもあり、ウェバーはこのミュージカルのブロードウェイでの上演に際しては、ブロードウェイ俳優協会の反発を押し切ってサラをクリスティーヌ役に起用しました。

1990年にはウェバーと離婚して、その後はソロ歌手としての活動に専念するようになりました。

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ソロ歌手として

サラは1991年のNHK紅白歌合戦に出演しました。『オペラ座の怪人』のナンバー「ミュージック・オブ・ザ・ナイト」を歌って、日本の音楽ファンにもおなじみの存在となりました。

992年のバルセロナオリンピックの閉会式ではスペインのオペラ歌手ホセ・カレーラスとのデュエットで大会の公式テーマ曲『アミーゴス・パラ・シエンプレ』を歌っています。その頃にサラは、ドイツを拠点とする音楽グループのエニグマからソロ歌手として活動するよう薦められていました。1991年にサラはドイツを訪れて、エニグマのメンバー、フランク・ピーターソンをプロデューサーに迎えることになりました。こうして制作されたのが1993年のアルバム『Dive』です。深海をテーマにしたこのアルバムにはスウェーデンのバンド、Diveのデビュー・シングル「キャプテン・ニモ」のカバーが収録されました。ピーターソンはサラと私生活でもパートナーにもなり、この関係は2004年頃まで続きました。

1995年にはアルバム『Fly』を発表します。アルバムの収録曲「クエスチョン・オブ・オナー」は世界的なヒットになりました。アルフレード・カタラーニのオペラ『ラ・ワリー』のアリア「Ebben? Ne andrò lontana」(さようなら、ふるさとの家よ)を採り入れたこの作品は、ボクシングのIBF世界ライトヘビー級タイトルマッチ、ヘンリー・マスケ対グラシアノ・ロッシジャーニ戦で公式ソングとして歌われたのが最初の演奏です。曲の中盤で流れる勇ましい男性コーラスの歌詞も「Two men collide」(2人の男がぶつかりあう)」となっています。それから、この曲はテレビ朝日が2000年頃からサッカー・ワールドカップの中継やサッカー・日本代表戦の中継、日本代表関連ニュースの際にテーマ曲としてサビの部分を使用していたこともあり、日本のサッカー・ファンにもなじみ深い曲の存在になっています。また、高野山ケーブルの車内放送のBGM、トヨタ・マークXのCM曲としても使われていたことがあります。

あの曲誕生してから

翌1996年には、さらにアンドレア・ボチェッリとデュエットの「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」が爆発的にヒットして、クラシカル・クロスオーバーというジャンルの世界的に確立していきました。この曲もマスケの引退試合で歌われたことが人気の起爆剤となりました。この成功を受けて同年中に「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」を追加収録した『Fly』の再発盤がリリースされて、翌1997年には同曲を含んだ新アルバム『Timeless』が制作されました。この『Timeless』には他にアルゼンチンのオペラ歌手、ホセ・クーラとのデュエット曲やクイーンやジプシー・キングスのカバー曲が収録されています。

1998年には『Eden』、2000年には『La Luna』、2001年には『Classics』、2003年に『Harem』と精力的なアルバム製作が続いていきました。『Harem』日本盤に収録「サラバンド」は『ニュースステーション』のオープニングテーマ曲に採用されました。『Halem』以降はしばらくアルバム空白期が続いていましたが、2007年には「ビー・ウィズ・ユー 〜いつもそばに〜」が映画『劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール ディアルガVSパルキアVSダークライ』のエンディングテーマ曲に採用されました。

2007年8月には、世界陸上大阪大会の開会式に出演して、グスターヴ・ホルストの「木星」をアレンジした「ランニング(ジュピター~栄光の輝き)」を歌っています。

2008年にはこの2曲を収録したアルバム『Symphony』が5年振りにリリースされました。2008年の北京オリンピックの開会式では、劉歓とのデュエットで大会公式テーマ曲「我和你 (You and me)」を歌いました。11月にはクリスマス・アルバム『A Winter Symphony』を発売しましたが、このアルバムは日本ではクラシック系アーティストによるクリスマス・アルバムとして初めてオリコンの洋楽アルバム・ランキングで1位になりました。

2009年には映画『アマルフィ 女神の報酬』に本人役で出演しています。共演者との絡みとかセリフはありませんが、イタリア・カゼルタ宮殿内のロケセットで主題歌「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」を歌っています。2009年に放映されたNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の主題歌「Stand Alone」(久石譲作曲)も歌っています。

2013年にはスペースシャトルの後継宇宙船として開発がすすめられている宇宙船の名前と同じ『Dreamchaser』を発表しました。日本盤にはボーナス・トラックとして宮崎駿作詞、久石讓作曲による「となりのトトロ」の挿入歌『風のとおり道』が収録されて、サラが日本語で歌っています。

サラの音楽

サラは声楽を初めはトリニティ音楽大学のエリザベス・ホーズに学んでいます。次いでジュリアード音楽院のエレン・ファウルに学びました。現在はデイヴィッド・ロマノについて学んでいます。彼女の声域は3オクターヴに及んでいて、サラ自身によると最高音はF6にまで達するといいます。『オペラ座の怪人』で指揮者を務めたデイヴィッド・キャディックは、彼女はポップス的なものとソプラノ的なものと二通りの発声を使い分けることができて、ソプラノ部の最高音はE6に達すると証言しています。サラ・ブライトマンの音楽は一般的に「クラシカル・クロスオーバー」と呼ばれています。マンハッタン・レコードのゼネラル・マネージャー、イアン・ラルフィニは、彼女はこの分野の現在の人気に決定的な貢献をしているといっています。サラ自身は2000年のインタビューでこうした「クラシカル・クロスオーバー」とした類型化を「ぞっとする」として拒絶する一方で、人々の音楽を分類しようとする欲求については理解する、と理解を示しました。

サラ・ブライトマンはデヴィッド・ボウイやピンク・フロイドなど、1960年代から70年代にかけてのミュージックシーンの影響を受けていて、ポップス、ロックからクラシックに至る幅広い分野の音楽を融合させています。彼女のアルバム収録曲はヘンデルやプッチーニのオペラ・アリアからカンサスやプロコル・ハルムの楽曲にまで及んでいます。

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